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再生した二人をそっとしておいてやろうという情が湧いたことに宇宙人自身が気付いていないか、説明できる表現を持っていないか、とか
これだと思った。宇宙人に(彼らなりの)感情があるのかどうかはわからないが、「人間の愛は文化や知的レベルが異なる宇宙人にもきっと通じる」と藤子先生が思っているということだと思う。
「宇宙人も二人の愛が永遠に続く事を望んでいたが、もし数年後尋ねた時愛が冷めていたら耐えられないので確認出来ずに其の儘でいる」のかと思った
凄いな…これ
科学技術的なモノは明らかに優れてるのに、見下すような態度をとっていた宇宙人が実は人類より未熟とも取れる、みたいな皮肉は大好きです。
同じく。例えるなら翠星のガルガンティアのような感じか。機械的な少年が感情を学んだような。「自分でもわからないが、なぜかこれが正しい気がする…じゃあの」みたいな
若いころ読みました私の解釈ですが宇宙人はレポートとして淡々と書いてるようで、実は非常に感情的になっている→観察者として不干渉で視ているだけだったはずなのに、最後にAとBを生き返らせるという積極的干渉している→興味を失った、というのは言い訳で感情的になってしまった恥ずかしさ、干渉してしまった後悔とか後ろめたさ、あと500年経っても気にしているのは結果を知る怖さから→宇宙人は忘れたくても忘れられないことだったから
こういう、征地球論みたいなメタ的・客観的に我々の常識を説明する作品すき
自分も2人に感情移入しすぎて、結果を見届けるのが怖くなった説を推すかな
ロミオとジュリエットは実はほんの数日間の話で、もし仮に結婚したとして上手く行かなかったんじゃないかと言われている。というのも、動画にもあるがあの二人は所詮禁断の関係で、しかも数日間であったからこそかえって燃え上がっただけで、もし両家が仲直りして結婚しても、すぐに冷めてしまって終わるのではないかという説が昔から語られている。ゲレンデで生まれた恋は泡雪のように消えるとも言うし。宇宙人もそれに気づいて、こう、夢が潰れるのが嫌な感覚に陥ったのかもしれない。世の中不明のままにしておきたい事もあると理解したのかもなあ
日本の皇室にありそうな話ですね
そう考えると意外とハッピーエンド?
宇宙人の大学生がレポート期限に間に合わせるために書いた為、最後の部分が雑になった
これだな
コレはwwww卒業単位がかかってるwwwwww
卒論だったのか…
卒論はさすがに草
宇宙人教授「これ最後適当だし出典きちんと書いてないよね?」
宇宙がヤバすぎて500年なんてあっという間で,宇宙人にとっては結果を観察する適切な時間が観察される側にとっては途方も無い時間だったと考えます.
確認しない限り結果を夢想する事ができる。その楽しさを自分でも気付かぬ中に味わっているんだろう。封を切らないビンテージワインはいつだって最高の美味なんだ。
ワインに例えるの上手い
自分も解釈はこっちだな~
???「もう、我慢できな~い!」グビッ
この作品を読んだ時は中学生でしたが、深いと思いました。結果を見届けなかったのは、二人に幸せになって欲しい、あるいは、愛という物を信じたくなったからだと今も思っています。素敵な動画、ありがとうございました。
この話マジで好き、一番好き。不二雄の圧倒的な知識量と創造力に感動した。チャンネルも登録した。
四畳半神話大系の中で「成就した恋ほど語るに値しないものない」て言う名言がありましてね。
す…すげぇ! ゲーテが言ったとかじゃなくアニメ(原作?)でそんな真をついた名言があったなんて
今見直すとどんでん返し系のSCPの報告書みたいで実におもしろい
scp1370jp に似てると思った
あとはSCP-287とか
結果を見るのが怖くなったに一票。悲劇で終わるからこそ物語に魅力が出るという皮肉だと思いました。
手塚治虫と藤子不二雄Fの短編は本当に面白い、やっぱ天才だから常人とは違う感性があるのかね
宇宙人にも元々は感情(愛憎)があったけど、進化の過程で捨てた。捨て去った不安定なモノと、その結果を知るのが怖かった。こんな感じかな?
恋は下心が燃え上がり愛は真心が温める、確かに熱量が減るがそこにある心はいつまでも暖かくあり続けるんだよなぁ。
scp報告書を読んでるので初見で理解できた
既視感はそれか
「自らを冷静な観察者たらんとしているのに、感情移入してしまった。そのため、結果を知ることが怖くなってしまった。」と私は捉えています。RUclipsは何でもアリとはいえ、この作品をクローズアップするとは驚きです。投稿者さん、なかなかやるじゃん!
藤子・F・不二雄先生の短編集大好きなんだけど、周りで知ってるやつ誰もおらんから、5万人もの人が興味持ってくれてるの見るとなんかクソ嬉しいな。
悲劇の際「思考波にふしぎな乱れが生じた」と記述があるとおり、機械的論理的な思考の中に人間的感情的思考が生まれていたとは思います。その上で最後に「奇妙なことに我々は結果を確認していない」と本人達でも分からない行動をとっていることから、これは感情的な行動だったと考えられます。なぜレポートにもかかわらず結果を求めなかったといえば、感情が先行して結果を確認したくなかったのではないでしょうか。島で幸せに暮らしている可能性もあれば破局したり病死したり、観測で見たとおり人は殺し合ったりもしますシュレディンガーの猫よろしく、結果を確認しないことで幸せに暮らす彼らの可能性を残したかったというのが私の考えです。何でも知りたい星人がロマン屋さんになったと思うのは妄想がすぎますでしょうか。
自分も、同様の要因によりこの説だと感じました。他の藤子F不二雄先生の短編の趣向からして、シュールでダークな意味合いを想像するファンの方が多いのも頷けますが、それでは挙げられている「思考波の乱れ」と「奇妙なことに」の部分にしっかりとした折り合いがつかない。「理解の難しかった人間の心の機微が、男女2人の悲劇的結末により自然と想起されたが、彼らはその心が何であるかをまだ把握していない」というのが、パズルのピース的にしっかりと嵌まるものであると考えます。少女漫画的な絵柄の方に作画を依頼したのも、藤子F不二雄氏の考案したこのストーリーが氏のイメージに反した「純粋な」感動の物語であった為、自らの絵柄による先入観を取っ外して読んでほしい、という思いからであったのではないでしょうか…という邪推を最後に足しておきます。
返答ありがとうございますこの作品のよさは読者に結果をゆだねてる所だと思いますあえて結果を出さない作品は素晴らしくて残酷なのにとても魅力的ですね
描き方が上手くて、ロミオとジュリエットだとすぐに理解出来た。小難しそうに見せていても理解しやすいのは、藤子・F・不二雄先生の天才的な所だと思う。宇宙人達が結果を見届けなかったのは、一時的に盛り上がった感情で事を行ったからじゃないかと思う。欲しいと思ったものを手に入れた瞬間に、それに対して急激に興味を失う現象と同じ事が起きたんじゃないかなと。
興味は失うが実際は、安心を手に入れる それも感情だが
@@tsuchikadonarita9334 貴方が何を言いたいのか、貴方の文章からはいまいち分かりませんが(宇宙人達は欲しいものを手に入れられたと感じ、安心感に包まれて地球を去った。安心感もまた感情の1つではあるが……という意味でしょうか?)、私は宇宙人達に元々感情が無かった訳ではないと思っています。地球人に比べると希薄だっただけで、それがロミオとジュリエットの2人の人生を観測した結果、強く刺激されてしまって、その宇宙人達にとっては異常なくらい感情が盛り上がってしまった為に、今まで経験の無かった現象にも出くわしてしまって戸惑ったのではないかなと、そう考察しました。
観察する中で人類に対して愛情を持ってしまった、が生き返らせて期間を空けてる間に冷めた。つまり吸引力が不変ではない事を自分たちで証明しちゃった
他人のエネルギーだからね自分からエネルギーを発するようになったら考えも変わるかも?
レポート最後の手続きが研究倫理規定に抵触していることが問題となり、この星系への接触は無期限停止となりました。その後の時間経過により、このレポートの研究的価値は減じ、生命体に対しての関心も失われましたが、このレポート自体は、研究倫理概論で取り上げられる定番事例として、研究者やそれを目指す学生にはなじみのものとなっています。
宇宙人から見た「ロミオとジュリエット」か・・・
宇宙人に感情が芽生えたまで①と同じで、その後無意識下で「不変であってほしい」若しくは「風化するという事実を知りたくない」となった説
読んだことある、宇宙人の視点と言うのがかなり印象的。けれど最後はハッピーエンドだったからよかった。
多くのおとぎ話は「二人は末永く幸せに暮らしました」で終わるこれは、困難を乗り越えるまでが一番面白く、乗り越えたところで終わらせるのが一番キレイだからだ人間観察を経て感情を学んだ宇宙人は、知らず知らずレポートではなく物語を書いていただからこそ、最後まで見届けるのではなく、キレイな部分で終わらせたかったのだろう
猫が家出して不安で心配で探し回ってたら、少しはなれた先の良いおうちでとても幸せに暮らしていると知り、電話でそのお宅のご主人とお話し「そんなに心配されてたならお返ししましょうか?」と言われて「いいえ、幸せならそれで良いんです」と答えた話を思い出しました。大筋は同じ、「助かって(おそらく)幸せになってるなら不幸な死を迎えるよりずっと良い」宇宙人は哀しいと言う感情を知り、でもその感情を知らないから納得できる言い分けを作り、二人を助けて安心してそっとしておくことにした…ただそれだけの話だと思います。だって恋愛ものですから…助けた者がしたりげに見に行くのは野暮と言うもの
「思考波にふしぎな乱れ」→投稿者さんの①説の情緒の芽生えっぽいけど、観察者が2人を復活させた直接的なモチベーションは「あの吸引力が今回の探査行で最も我々の興味をそそられた現象だったのだ」であって、知的好奇心であるように読める。「奇妙なことにわれわれは結果を確認していない」→奇妙なことにということは、観察者自身、なぜそのような行動をとったのか言語化できないということ。このことから、観察者に芽生えた情緒によって「2人の行く末を観察する行為は無粋である」と無意識に認識こととなり、その認識が知的好奇心を抑えてあえて立ち去ることを選ばせた、ということかと思いました。ただ、作者としては余白を持たせて各々の解釈に委ねているようにも思います。
ちょうど学校の文化祭でやるロミジュリの劇の台本作ってたからすぐにわかって面白かったw
ロミオとジュリエットのハッピーエンド改変の二次創作は数あれどこれほど面白かったのない
SCP感があって面白い
たいへんおもしろかったので登録させて頂きましたいらすとやの使い方もうまくて作品の空気が感じられるのが素晴らしいです若い人が知らない古い作品が多いようなので、ねじ式や火の鳥復活篇など不思議な作品が見れそうで楽しみですお忙しそうなのでご自分のペースでの無理のない配信を応援しています
期待をうらぎられるのが怖くなったからだと思った。もうひとつメタな見方をすればクライマックスを過ぎた物語の「その後」は蛇足であって、長々続けたらシラケるよ。っていう「その先を知りたがる読者」への教訓なのかなと何はともあれ、この作品の不思議な余韻はずーっと心の片隅にこびりついて離れないな。
滲み出るSCP財団味 理由については「ロミジュリのSF的ifルートなんて炎上案件だから読者の想像に任せるわwwww」というメタ的な物と想像。
生きとったんか!!!久しぶりの更新嬉しい!
個人的には、宇宙人はなぜ?と考えるよりも藤子先生の意図から考えた方がいいと思うロミオとジュリエットはあそこで終わるから名作なのであってそこに生き返らせて続いただの別れただのを付け足さないってのが藤子先生のシェイクスピアへのリスペクトなんじゃないかなだから宇宙人(=超越的観察者=藤子先生)といえども踏み込む事ができないものがある、と捉えるべきかなと。まぁ原作未読でこの動画だけの知識ですけど。
待ってました!
②については、合理的な宇宙人の行動としては違うように思います。宇宙人自身が理由がわからないと言ってる点、何か合理的で無いものに多少なりとも目覚めたのが原因である事は確かなのではないかなと。それによって、結果を知るのを恐れたか、それを知ろうとするのは野暮だと感じたのか、そんな感じかなぁって感じました。
少しの期間(100年ほど)を置いたらABの特徴をもつ同生命体が増殖し、サンプルであるABを発見できなくなったため、結果を取得できなくなり有耶無耶にしたとか
宇宙人たちは、自分たちが神様になっていることを、気づいていない。
神の視点というやつですね
F先生自身がどう考えていたか語ってほしかったと思う半面、描写のない所を想像して補うのが建設的な楽しみ方でもあり……悩ましい話だ。
面白い作品ですね。(宇宙人から見て)知覚は鈍いが情動豊かな人間と、(人間から見て)文明は進んでいるが情動に鈍感な宇宙人の対比が面白いです。本当に二人の吸引力を確かめたいのなら、無理矢理引き離したり、くっつけたりして幾らでも確認出来たはず。それをしないで二人が死別した際には、思考波に乱れが生じたとある事から、宇宙人にも辛さや哀しさや愛情という心の情動はあるが、頭で何でも解決出来る彼らにとって情動はバグやノイズのようなものでしかなく全く自覚出来ていない、人間の情動も理解できていないのでは無いでしょうか。しかし、情動は確かにあって、二人を生き還らせた後に、幸せに暮らせるようにしたが、か弱い人間がまた死別する事は容易に想像出来た為に地球を後にした。そして、500年経った今でも二人の事を想い続けている(愛は永遠である)と個人的に解釈しました。
本当に気持ちが風化してしまったなら500年前の出来事をレポートで振り返ろうなんてしないでしょ。どうしても忘れられないからこそ500年前の出来事をレポートにすることにしたのであって。やっぱ結果を見ることが怖くなってしまったが自説。もし「吸引力は永遠じゃない」という結果だったら何かを失ってしまいそうな、そんな「怖い」という「感情」が観測者に芽生えたしまったのでしょう
←自分が産まれるきっかけとなる“相違点を奇妙な形で利用”をこの漫画で初めて知った希少種
SCPのような文体すこ
やっぱり1番説が有効かな悲劇的な最期を迎えたAとBに感情移入してしまったとか?
馬を四足走行生物って言うの好きすぎる
宇宙人も内心、その吸引力は永遠であることを望んでいて、結果がそうならない事が怖くて見届けられなかった
生殖行為も性別というものも知らないからレポートの宇宙人は性別がなく、愛というものを理解できないため、これ以上調査しても無意味だと悟った説
冒頭で地球人を炭素生命体と言っているので、観察者はケイ素生命体いわゆる鉱物生命体だと思われます。人間からも認識されていないので、個体としては小さな石ころに見えるのかもしれません。SF的に鉱物生命体は生命活動のスパンが非常に長く、過ごす時間が長い為強い感情を持たなかったり、群体として個の意識が薄かったりという設定が良く見られます。この観察者は「愛情」といういままで感じた事の無い強い感情に揺さぶられたものの、同時に今まで持たなかった「恐怖」の感情によって結末を確かめるのが怖くなったのでは無いかと感じました。「なぜか確認していない」のも、自身の中にある感情が理解出来ていないからでは無いかと。
そりゃ大事だからこそ見に行かなかったんでしょ もしも愛が不変でなかったら怖いもんそれに、エピローグの後が気になってもそれを暴くのは『無粋』ってもんだわからないからこそ良いものもあるでしょ
宇宙人はAとBの悲劇を通じて、自分でも理解せぬままに「物語を楽しむ」という感情を獲得したのだと解釈しています。『ロミオとジュリエット』の最後に「ロミオとジュリエットを哀れんだ神様は二人を蘇らせ、二人だけの楽園へとお送りになりました。ロミオとジュリエットはきっと楽園で末永く幸せに暮らしたでしょう。めでたしめでたし。」と書き加え、「物語」を完成させたのだと思います。二人を蘇生したのは観測のためなどと言っていますが、その後の観測はしていません。実は「二人がかわいそうだ。報われて欲しい。」という極めて「物語の読者」な感情に宇宙人自身も気づかすに突き動かされての行動とも取れます。「めでたしめでたし」の後を観測しないことで「レポート」としては破綻し、同時に「物語」としては完成したのではないでしょうか。人間とは異なる存在が人間たちのドラマに触れ、人間的な感性を獲得したというロマンチックなオチという解釈です。
機械的な表現が非常に興味深い
私はこの作品を征地球論との対比で考えると何か見えて来るのかな?と思いました。征地球論が、それこそ何百年、何千年もかけて地球を征服するかしないか?に議論を費やしているくらい重要と言うか注目されている星、と捉えている世界観に対し、この作品は徹底的に取るに足らない存在と、これでもかと文章の端々に伺えます。1.ふとした弾みで偶然に見つけた星2.炭素系生物は理論的には存在するが、今回初めて⇨この表現から、確かにいてもおかしくはないけど、特段に注目するまでもない存在である事が観察者側の視点(非炭素系生命体)からは見なされている事が見て取れる。3.あまりに不可解だったからちょっとだけ興味を持った、と言うスタンス。きっと、この観察者から見てそれなりに合理性を感じていたら、それ以外のことはあまりに原始的で、取るに足らない存在だったから、レポートするまでもなくスルーしていたはずであろう。4.あまりに不可解だったからちょっとかじって見たし、ちょっと介入してみたけど、やっぱり取るに足らない存在であることには変わらなったから、本来の目的である何かの為に地球を離れることにした。5.レポートする相手に対しては、メインとなるレポートに添えられた、余談的、箸休め的レポート、という位置付けだろう。もし、これ以上関わっていたら、きっと「おまえ、なにこんなことのためにそんなに時間を使っているんだ?」と、怒られるような、そんな瑣末なトピック、ということなのでしょう。だから、レポート作成者は、見つけたこと自体は報告相手に、ちょっとだけ知らせてみたかったけど、一方で、「そんなに時間使ってませんよー」アピールもする必要があった、と言ったところでしょうか。以上が私の考察です。
人間の感情に感化され、野暮 無粋のような感覚を得たんだと思った。こいつらが持ち得なかった趣深さをしって、あえて確認しなかったんじゃないかな。
元の作画どんな感じかなぁとググったら「相違点利用図」ばっかしかでてこねぇw
子供のころ読んだが、「藤子不二雄ってこんな少女漫画みたいな絵も描くんだ」って勘違い。
二人を助けた事に満足感みたいな物を感じて去って行ったのかもねただその感情を科学的に証明するのも出来ずだからと言ってわざわざ確認するのも非効率と感じてやる気が起きないのかも
ノスタル爺の解説欲しいです。1番好きな話なので!
悲劇的な結末に終わったロミオとジュリエットの話を救いのある結末にしたいというF先生の思惑を感じます。
生き返らせて小島に移送する行為は観察者として逸脱した行為だし、それが感情に基づいたものなのもうっすら自覚している。自分が関わったら観察者ではなく当事者になってしまう。自身の向こう見ずな行為を恥じ、悲惨な結果になっている可能性を恐れて、観察も確認も止めてしまったのではないか。2人を幸せにしてやりたいという衝動が起きたが、定期的に観察し介入する程の願いでは無かった
原作本みたけど原案はF先生で作画はアシスタントが描いたみたいだけど完全な別作品だったし藤子感が全くなく違和感しかなかった。
お久しぶりです。とても面白かったです。次は、「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」の紹介をお願いします。
ちょっとscpみたいで好きだなー
征地球論もある意味似たような作品かもしれませんね。こちらは集団としての人間の特性が簡潔かつ明確に描かれており衝撃を受けました。欠点を知ることは成長する上でとても大切なことだと思いますが、今の学校教育で人間の欠点を知る機会はあまりありませんね。せめてこちらのチャンネルで取り上げていただけると嬉しいです。
おかえりなさい
最後まで見届けなかった理由は宇宙人と地球人の時間尺度の差にレポートを書いた当人が漠然と気付いたからかもしれない。地球人はたったの数日でここまでのことをする。だが宇宙人は数百年以上のスケールで物事を見ている。
この動画で最後の方で流れていたbgmどこから拾ってきたのでしょうか。
久しぶり
興味が満たされなかった。との描写があったのが引っかかる。宇宙人が結果を見届けなかったのは、人間の感情にこれ以上深入りするのを恐れたからでは?これだけ客観的に見れる生物が自分の中に訳の分からない感情が出てきたらどうしようと恐れたのではないかと思った。
宇宙人「あれから500年。なんかめんどいな。もう100年後で良いかぁ」
あの「ゆっくり茶番劇」が商標登録されたそうですけど、この動画シリーズにも影響ありますか?
お隣の国のことを考えたら「間引き」も観たいなぁUP主さんの計画もあるでしょうから、気が向いたらで
観測者は宇宙人というより、ロボットのようだった。
この宇宙人珪素系だろうから愛だの恋だのってのは理解できないだろうしましてや感情なんてものもないんだろうなぁ
無粋という感情が芽生えたからとか続きを書いたら他の宇宙人が興味を持っちゃいそうだからかな
ロミオとジュリエットは生き返ったけど、本人たちは天国で会えたと思ってるから宇宙人が求める激しい吸引力は無くなってしまい興味を失ったと自分は思います。
物語には熱中しハッピーエンドは願うものの物語が終われば結局その後の話には興味を失い語ろうともしない、その後500年の間生きてきた人たちを仄めかして風刺してるとかかな?もしくは結びついて上手くいってしまったらやはり興味を失って(あるいは興味あってもその後のリアルは知りたくなくて)誰も考えたりしようとはしないという
怖いんでしょうね〜あの力は何なのか〜?あんな事してよかったんか〜?って自分たちの変な衝動的な感情への戸惑いかな〜
藤子・F・不二雄が三島由起夫の作品で‥たとえば「美しい星」とか‥やはり‥“宇宙人視点”をテーマにした文学作とかをどのような感想で見ていたのか‥とても気になる。
シェークスピアの作品が16世紀でその500年後は21世紀なので、人類は500年後には絶滅していて21世紀に人類はいなかった説
神視点で見るアダムとイブみたい
今まで2人には妨害ばかり入っていたからもう邪魔せずそっとしといてあげましょ。彼らの生命活動が永遠なのかいずれ停止するのか知らんけど。みたいな。なんだろ、普段はお行儀に厳しいのに限界を超えて頑張った我が子の食事風景が多少無作法になっても「まあ今回は頑張ってたから」って口出しせず食べ終わるまで黙って見守る親と似たイメージ。
なお宇宙人Oは、ロミオとジュリエットを観測したものと思われる
人の感情は不変なものかは、誰も知り得ない と、言う作者の意図
今思うと、涼宮ハルヒの所に長門を送り込んだ宇宙人と似たような種の宇宙人なんだろうか
『カンビュセスの籤』が掲載された『別冊問題小説』に、その半年後(1977年)に発表された作品だね。この半年後には『宇宙人』、その8ヶ月後には『並平家の一日』があって、地球や社会を客観的な目で見るのが、F先生の中で流行ってたのかな?あと、心理療法に、自分を火星人に見立てて、患者が恐怖や不安に感じている対象を客観的に観察させ、ネガティヴな感情を和らげる技法があります。確か、『気楽に殺ろうよ』(1972年)で、突然価値観の違う世界に入り込んでしまった主人公が、「頭がおかしくなった」と思って受診した心療内科で、その施術を受ける描写があったと思います。1970年前後というと、F先生がスランプの絶頂期にあった時期ですね。先生が心療内科(昔は精神科と言ったのかな?)を受診したことがあるとは思いませんが、本か何かでそういう心理療法があるのを知って面白いと思い、作品に反映させたのかもしれません。『中年スーパーマン左江内氏』(1977年)や『かわい子くん』(1980年)では、認知バイアスや「パターン認識」といった心理学の知識が反映されていますし、「にこにこしてるんだよ、いつも楽しそうに。そしたら、ほんとにしあわせになれる」とか、『ドラえもん』の名言とされる言葉は、心理学に基づくものが多いです。
子供をこういう劇に連れて行ったら、こんな見方してそう。
宇宙人が結果を見たくなかったのではないかと思いました。①と②を複合したようなものに近いかもしれないですが、生き返らせてた後引力が発生するのは予想どうり。発生しなくても環境が違うからなどで予想どうり。結果を見ずに自分たちで考えていた方が幸せだからかなと思いました。
興味深いエネルギーを自分たちはどーせ生み出せない、持たない物だと理解するのが読めて、無駄と薄々わかって、その実恐かったと思う
なんか字幕がオンになってて、ABCみたいな訳わからない言語が出てたけど、多分あれは宇宙人語だと思う
藤子先生が悲劇の2人に幸せな世界をプレゼントしたかったんや。その後、2人の生活を誰かが覗きに来るなど無粋ということさ(∩ˇωˇ∩)悲劇のラブストーリーを勝手に楽園でのハッピーエンドに改変した照れ隠しを作風で誤魔化してるのだ。
個人的には、説①の真逆で、不変のものであってほしい、不変のものである、と宇宙人が信じているが故に、あえて結果を確認しなかったんじゃないかな、と思った。
宇宙人目線でみたロミオとジュリエットのお話みたいな感じだったのかな
藤子・F・不二雄の間引きて漫画が好きなので紹介してくれると嬉しいです!
ロミオとジュリエットと儚い最後に宇宙人感化され、宇宙人にも心が宿ったけけれど、それは人間が脆く蘇生が難しいからこそ生まれてものであり、蘇生が用意にできる宇宙人の技術力が干渉してしまったのでその儚い最後は美しく思えなくなったため、ロミオとジュリエットに興味を失ってしまった。
③結果は読者がそれぞれ考えよ!!! 不変の愛?or飽きてしまう愛?
征地球論って作品に似ている😃
ロミオとジュリエットか
再生した二人をそっとしておいてやろうという情が湧いたことに宇宙人自身が気付いていないか、説明できる表現を持っていないか、とか
これだと思った。
宇宙人に(彼らなりの)感情があるのかどうかはわからないが、「人間の愛は文化や知的レベルが異なる宇宙人にもきっと通じる」と藤子先生が思っているということだと思う。
「宇宙人も二人の愛が永遠に続く事を望んでいたが、もし数年後尋ねた時愛が冷めていたら耐えられないので確認出来ずに其の儘でいる」のかと思った
凄いな…これ
科学技術的なモノは明らかに優れてるのに、見下すような態度をとっていた宇宙人が実は人類より未熟とも取れる、みたいな皮肉は大好きです。
同じく。
例えるなら翠星のガルガンティアのような感じか。機械的な少年が感情を学んだような。
「自分でもわからないが、なぜかこれが正しい気がする…じゃあの」みたいな
若いころ読みました
私の解釈ですが
宇宙人はレポートとして淡々と書いてるようで、実は非常に感情的になっている→
観察者として不干渉で視ているだけだったはずなのに、最後にAとBを生き返らせるという積極的干渉している→
興味を失った、というのは言い訳で感情的になってしまった恥ずかしさ、干渉してしまった後悔とか後ろめたさ、あと500年経っても気にしているのは結果を知る怖さから→
宇宙人は忘れたくても忘れられないことだったから
こういう、征地球論みたいなメタ的・客観的に我々の常識を説明する作品すき
自分も2人に感情移入しすぎて、結果を見届けるのが怖くなった説を推すかな
ロミオとジュリエットは実はほんの数日間の話で、もし仮に結婚したとして上手く行かなかったんじゃないかと言われている。
というのも、動画にもあるがあの二人は所詮禁断の関係で、しかも数日間であったからこそかえって燃え上がっただけで、もし両家が仲直りして結婚しても、
すぐに冷めてしまって終わるのではないかという説が昔から語られている。ゲレンデで生まれた恋は泡雪のように消えるとも言うし。
宇宙人もそれに気づいて、こう、夢が潰れるのが嫌な感覚に陥ったのかもしれない。世の中不明のままにしておきたい事もあると理解したのかもなあ
日本の皇室にありそうな話ですね
そう考えると意外とハッピーエンド?
宇宙人の大学生がレポート期限に間に合わせるために書いた為、最後の部分が雑になった
これだな
コレはwwww卒業単位がかかってるwwwwww
卒論だったのか…
卒論はさすがに草
宇宙人教授「これ最後適当だし出典きちんと書いてないよね?」
宇宙がヤバすぎて500年なんてあっという間で,宇宙人にとっては結果を観察する適切な時間が観察される側にとっては途方も無い時間だったと考えます.
確認しない限り結果を夢想する事ができる。
その楽しさを自分でも気付かぬ中に味わっているんだろう。
封を切らないビンテージワインはいつだって最高の美味なんだ。
ワインに例えるの上手い
自分も解釈はこっちだな~
???「もう、我慢できな~い!」グビッ
この作品を読んだ時は中学生でしたが、深いと思いました。結果を見届けなかったのは、二人に幸せになって欲しい、あるいは、愛という物を信じたくなったからだと今も思っています。素敵な動画、ありがとうございました。
この話マジで好き、一番好き。不二雄の圧倒的な知識量と創造力に感動した。チャンネルも登録した。
四畳半神話大系の中で「成就した恋ほど語るに値しないものない」て言う名言がありましてね。
す…すげぇ! ゲーテが言ったとかじゃなくアニメ(原作?)でそんな真をついた名言があったなんて
今見直すとどんでん返し系のSCPの報告書みたいで実におもしろい
scp1370jp に似てると思った
あとはSCP-287とか
結果を見るのが怖くなったに一票。
悲劇で終わるからこそ物語に魅力が出るという皮肉だと思いました。
手塚治虫と藤子不二雄Fの短編は本当に面白い、やっぱ天才だから常人とは違う感性があるのかね
宇宙人にも元々は感情(愛憎)があったけど、進化の過程で捨てた。
捨て去った不安定なモノと、その結果を知るのが怖かった。
こんな感じかな?
恋は下心が燃え上がり愛は真心が温める、確かに熱量が減るがそこにある心はいつまでも暖かくあり続けるんだよなぁ。
scp報告書を読んでるので初見で理解できた
既視感はそれか
「自らを冷静な観察者たらんとしているのに、感情移入してしまった。そのため、結果を知ることが怖くなってしまった。」と私は捉えています。RUclipsは何でもアリとはいえ、この作品をクローズアップするとは驚きです。投稿者さん、なかなかやるじゃん!
藤子・F・不二雄先生の短編集大好きなんだけど、周りで知ってるやつ誰もおらんから、5万人もの人が興味持ってくれてるの見るとなんかクソ嬉しいな。
悲劇の際「思考波にふしぎな乱れが生じた」と記述があるとおり、機械的論理的な思考の中に人間的感情的思考が生まれていたとは思います。
その上で最後に「奇妙なことに我々は結果を確認していない」と本人達でも分からない行動をとっていることから、これは感情的な行動だったと考えられます。
なぜレポートにもかかわらず結果を求めなかったといえば、感情が先行して結果を確認したくなかったのではないでしょうか。
島で幸せに暮らしている可能性もあれば破局したり病死したり、観測で見たとおり人は殺し合ったりもします
シュレディンガーの猫よろしく、結果を確認しないことで幸せに暮らす彼らの可能性を残したかったというのが私の考えです。
何でも知りたい星人がロマン屋さんになったと思うのは妄想がすぎますでしょうか。
自分も、同様の要因によりこの説だと感じました。
他の藤子F不二雄先生の短編の趣向からして、シュールでダークな意味合いを想像するファンの方が多いのも頷けますが、それでは挙げられている「思考波の乱れ」と「奇妙なことに」の部分にしっかりとした折り合いがつかない。
「理解の難しかった人間の心の機微が、男女2人の悲劇的結末により自然と想起されたが、彼らはその心が何であるかをまだ把握していない」というのが、パズルのピース的にしっかりと嵌まるものであると考えます。
少女漫画的な絵柄の方に作画を依頼したのも、藤子F不二雄氏の考案したこのストーリーが氏のイメージに反した「純粋な」感動の物語であった為、自らの絵柄による先入観を取っ外して読んでほしい、という思いからであったのではないでしょうか…という邪推を最後に足しておきます。
返答ありがとうございます
この作品のよさは読者に結果をゆだねてる所だと思います
あえて結果を出さない作品は素晴らしくて残酷なのにとても魅力的ですね
描き方が上手くて、ロミオとジュリエットだとすぐに理解出来た。小難しそうに見せていても理解しやすいのは、藤子・F・不二雄先生の天才的な所だと思う。
宇宙人達が結果を見届けなかったのは、一時的に盛り上がった感情で事を行ったからじゃないかと思う。
欲しいと思ったものを手に入れた瞬間に、それに対して急激に興味を失う現象と同じ事が起きたんじゃないかなと。
興味は失うが実際は、安心を手に入れる それも感情だが
@@tsuchikadonarita9334 貴方が何を言いたいのか、貴方の文章からはいまいち分かりませんが(宇宙人達は欲しいものを手に入れられたと感じ、安心感に包まれて地球を去った。安心感もまた感情の1つではあるが……という意味でしょうか?)、私は宇宙人達に元々感情が無かった訳ではないと思っています。地球人に比べると希薄だっただけで、それがロミオとジュリエットの2人の人生を観測した結果、強く刺激されてしまって、その宇宙人達にとっては異常なくらい感情が盛り上がってしまった為に、今まで経験の無かった現象にも出くわしてしまって戸惑ったのではないかなと、そう考察しました。
観察する中で人類に対して愛情を持ってしまった、が生き返らせて期間を空けてる間に冷めた。つまり吸引力が不変ではない事を自分たちで証明しちゃった
他人のエネルギーだからね
自分からエネルギーを発するようになったら考えも変わるかも?
レポート最後の手続きが研究倫理規定に抵触していることが問題となり、この星系への接触は無期限停止となりました。
その後の時間経過により、このレポートの研究的価値は減じ、生命体に対しての関心も失われましたが、
このレポート自体は、研究倫理概論で取り上げられる定番事例として、研究者やそれを目指す学生にはなじみのものとなっています。
宇宙人から見た「ロミオとジュリエット」か・・・
宇宙人に感情が芽生えたまで①と同じで、
その後無意識下で「不変であってほしい」若しくは「風化するという事実を知りたくない」
となった説
読んだことある、宇宙人の視点と言うのがかなり印象的。
けれど最後はハッピーエンドだったからよかった。
多くのおとぎ話は「二人は末永く幸せに暮らしました」で終わる
これは、困難を乗り越えるまでが一番面白く、乗り越えたところで終わらせるのが一番キレイだからだ
人間観察を経て感情を学んだ宇宙人は、知らず知らずレポートではなく物語を書いていた
だからこそ、最後まで見届けるのではなく、キレイな部分で終わらせたかったのだろう
猫が家出して不安で心配で探し回ってたら、少しはなれた先の良いおうちでとても幸せに暮らしていると知り、電話でそのお宅のご主人とお話し「そんなに心配されてたならお返ししましょうか?」と言われて「いいえ、幸せならそれで良いんです」と答えた話を思い出しました。
大筋は同じ、
「助かって(おそらく)幸せになってるなら不幸な死を迎えるよりずっと良い」
宇宙人は哀しいと言う感情を知り、でもその感情を知らないから納得できる言い分けを作り、二人を助けて安心してそっとしておくことにした…ただそれだけの話だと思います。
だって恋愛ものですから…助けた者がしたりげに見に行くのは野暮と言うもの
「思考波にふしぎな乱れ」→投稿者さんの①説の情緒の芽生えっぽいけど、観察者が2人を復活させた直接的なモチベーションは「あの吸引力が今回の探査行で最も我々の興味をそそられた現象だったのだ」であって、知的好奇心であるように読める。
「奇妙なことにわれわれは結果を確認していない」→奇妙なことにということは、観察者自身、なぜそのような行動をとったのか言語化できないということ。
このことから、観察者に芽生えた情緒によって「2人の行く末を観察する行為は無粋である」と無意識に認識こととなり、その認識が知的好奇心を抑えてあえて立ち去ることを選ばせた、ということかと思いました。
ただ、作者としては余白を持たせて各々の解釈に委ねているようにも思います。
ちょうど学校の文化祭でやるロミジュリの劇の台本作ってたからすぐにわかって面白かったw
ロミオとジュリエットのハッピーエンド改変の二次創作は数あれど
これほど面白かったのない
SCP感があって面白い
たいへんおもしろかったので登録させて頂きました
いらすとやの使い方もうまくて作品の空気が感じられるのが素晴らしいです
若い人が知らない古い作品が多いようなので、ねじ式や火の鳥復活篇など不思議な作品が見れそうで楽しみです
お忙しそうなのでご自分のペースでの無理のない配信を応援しています
期待をうらぎられるのが怖くなったからだと思った。もうひとつメタな見方をすればクライマックスを過ぎた物語の「その後」は蛇足であって、長々続けたらシラケるよ。っていう「その先を知りたがる読者」への教訓なのかなと
何はともあれ、この作品の不思議な余韻はずーっと心の片隅にこびりついて離れないな。
滲み出るSCP財団味
理由については「ロミジュリのSF的ifルートなんて炎上案件だから読者の想像に任せるわwwww」というメタ的な物と想像。
生きとったんか!!!
久しぶりの更新嬉しい!
個人的には、宇宙人はなぜ?と考えるよりも
藤子先生の意図から考えた方がいいと思う
ロミオとジュリエットはあそこで終わるから名作なのであって
そこに生き返らせて続いただの別れただのを付け足さないってのが
藤子先生のシェイクスピアへのリスペクトなんじゃないかな
だから宇宙人(=超越的観察者=藤子先生)といえども踏み込む事ができないものがある、と捉えるべきかなと。
まぁ原作未読でこの動画だけの知識ですけど。
待ってました!
②については、合理的な宇宙人の行動としては違うように思います。
宇宙人自身が理由がわからないと言ってる点、何か合理的で無いものに多少なりとも目覚めたのが原因である事は確かなのではないかなと。
それによって、結果を知るのを恐れたか、それを知ろうとするのは野暮だと感じたのか、そんな感じかなぁって感じました。
少しの期間(100年ほど)を置いたらABの特徴をもつ同生命体が増殖し、サンプルであるABを発見できなくなったため、結果を取得できなくなり有耶無耶にしたとか
宇宙人たちは、自分たちが神様になっていることを、気づいていない。
神の視点というやつですね
F先生自身がどう考えていたか語ってほしかったと思う半面、描写のない所を想像して補うのが建設的な楽しみ方でもあり……悩ましい話だ。
面白い作品ですね。(宇宙人から見て)知覚は鈍いが情動豊かな人間と、(人間から見て)文明は進んでいるが情動に鈍感な宇宙人の対比が面白いです。本当に二人の吸引力を確かめたいのなら、無理矢理引き離したり、くっつけたりして幾らでも確認出来たはず。それをしないで二人が死別した際には、思考波に乱れが生じたとある事から、宇宙人にも辛さや哀しさや愛情という心の情動はあるが、頭で何でも解決出来る彼らにとって情動はバグやノイズのようなものでしかなく全く自覚出来ていない、人間の情動も理解できていないのでは無いでしょうか。しかし、情動は確かにあって、二人を生き還らせた後に、幸せに暮らせるようにしたが、か弱い人間がまた死別する事は容易に想像出来た為に地球を後にした。そして、500年経った今でも二人の事を想い続けている(愛は永遠である)と個人的に解釈しました。
本当に気持ちが風化してしまったなら500年前の出来事をレポートで振り返ろうなんてしないでしょ。
どうしても忘れられないからこそ500年前の出来事をレポートにすることにしたのであって。
やっぱ結果を見ることが怖くなってしまったが自説。もし「吸引力は永遠じゃない」という結果だったら何かを失ってしまいそうな、
そんな「怖い」という「感情」が観測者に芽生えたしまったのでしょう
←自分が産まれるきっかけとなる“相違点を奇妙な形で利用”をこの漫画で初めて知った希少種
SCPのような文体すこ
やっぱり1番説が有効かな
悲劇的な最期を迎えたAとBに感情移入してしまったとか?
馬を四足走行生物って言うの好きすぎる
宇宙人も内心、その吸引力は永遠であることを望んでいて、
結果がそうならない事が怖くて見届けられなかった
生殖行為も性別というものも知らないからレポートの宇宙人は性別がなく、愛というものを理解できないため、これ以上調査しても無意味だと悟った説
冒頭で地球人を炭素生命体と言っているので、観察者はケイ素生命体いわゆる鉱物生命体だと思われます。
人間からも認識されていないので、個体としては小さな石ころに見えるのかもしれません。
SF的に鉱物生命体は生命活動のスパンが非常に長く、過ごす時間が長い為強い感情を持たなかったり、群体として個の意識が薄かったりという設定が良く見られます。
この観察者は「愛情」といういままで感じた事の無い強い感情に揺さぶられたものの、同時に今まで持たなかった「恐怖」の感情によって結末を確かめるのが怖くなったのでは無いかと感じました。
「なぜか確認していない」のも、自身の中にある感情が理解出来ていないからでは無いかと。
そりゃ大事だからこそ見に行かなかったんでしょ もしも愛が不変でなかったら怖いもん
それに、エピローグの後が気になってもそれを暴くのは『無粋』ってもんだ
わからないからこそ良いものもあるでしょ
宇宙人はAとBの悲劇を通じて、自分でも理解せぬままに「物語を楽しむ」という感情を獲得したのだと解釈しています。
『ロミオとジュリエット』の最後に
「ロミオとジュリエットを哀れんだ神様は二人を蘇らせ、二人だけの楽園へとお送りになりました。
ロミオとジュリエットはきっと楽園で末永く幸せに暮らしたでしょう。めでたしめでたし。」
と書き加え、「物語」を完成させたのだと思います。
二人を蘇生したのは観測のためなどと言っていますが、その後の観測はしていません。
実は「二人がかわいそうだ。報われて欲しい。」という極めて「物語の読者」な感情に
宇宙人自身も気づかすに突き動かされての行動とも取れます。
「めでたしめでたし」の後を観測しないことで「レポート」としては破綻し、
同時に「物語」としては完成したのではないでしょうか。
人間とは異なる存在が人間たちのドラマに触れ、人間的な感性を獲得したという
ロマンチックなオチという解釈です。
機械的な表現が非常に興味深い
私はこの作品を征地球論との対比で考えると何か見えて来るのかな?と思いました。征地球論が、それこそ何百年、何千年もかけて地球を征服するかしないか?に議論を費やしているくらい重要と言うか注目されている星、と捉えている世界観に対し、この作品は徹底的に取るに足らない存在と、これでもかと文章の端々に伺えます。
1.ふとした弾みで偶然に見つけた星
2.炭素系生物は理論的には存在するが、今回初めて⇨この表現から、確かにいてもおかしくはないけど、特段に注目するまでもない存在である事が観察者側の視点(非炭素系生命体)からは見なされている事が見て取れる。
3.あまりに不可解だったからちょっとだけ興味を持った、と言うスタンス。きっと、この観察者から見てそれなりに合理性を感じていたら、それ以外のことはあまりに原始的で、取るに足らない存在だったから、レポートするまでもなくスルーしていたはずであろう。
4.あまりに不可解だったからちょっとかじって見たし、ちょっと介入してみたけど、やっぱり取るに足らない存在であることには変わらなったから、本来の目的である何かの為に地球を離れることにした。
5.レポートする相手に対しては、メインとなるレポートに添えられた、余談的、箸休め的レポート、という位置付けだろう。
もし、これ以上関わっていたら、きっと「おまえ、なにこんなことのためにそんなに時間を使っているんだ?」と、怒られるような、そんな瑣末なトピック、ということなのでしょう。
だから、レポート作成者は、見つけたこと自体は報告相手に、ちょっとだけ知らせてみたかったけど、一方で、「そんなに時間使ってませんよー」アピールもする必要があった、と言ったところでしょうか。
以上が私の考察です。
人間の感情に感化され、野暮 無粋のような感覚を得たんだと思った。
こいつらが持ち得なかった趣深さをしって、あえて確認しなかったんじゃないかな。
元の作画どんな感じかなぁとググったら「相違点利用図」ばっかしかでてこねぇw
子供のころ読んだが、「藤子不二雄ってこんな少女漫画みたいな絵も描くんだ」って勘違い。
二人を助けた事に満足感みたいな物を感じて去って行ったのかもね
ただその感情を科学的に証明するのも出来ずだからと言ってわざわざ確認するのも非効率と感じてやる気が起きないのかも
ノスタル爺の解説欲しいです。1番好きな話なので!
悲劇的な結末に終わったロミオとジュリエットの話を救いのある結末にしたいというF先生の思惑を感じます。
生き返らせて小島に移送する行為は観察者として逸脱した行為だし、それが感情に基づいたものなのもうっすら自覚している。
自分が関わったら観察者ではなく当事者になってしまう。自身の向こう見ずな行為を恥じ、悲惨な結果になっている可能性を恐れて、観察も確認も止めてしまったのではないか。2人を幸せにしてやりたいという衝動が起きたが、定期的に観察し介入する程の願いでは無かった
原作本みたけど原案はF先生で作画はアシスタントが描いたみたいだけど完全な別作品だったし藤子感が全くなく違和感しかなかった。
お久しぶりです。とても面白かったです。
次は、「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」の紹介をお願いします。
ちょっとscpみたいで好きだなー
征地球論もある意味似たような作品かもしれませんね。こちらは集団としての人間の特性が簡潔かつ明確に描かれており衝撃を受けました。欠点を知ることは成長する上でとても大切なことだと思いますが、今の学校教育で人間の欠点を知る機会はあまりありませんね。せめてこちらのチャンネルで取り上げていただけると嬉しいです。
おかえりなさい
最後まで見届けなかった理由は宇宙人と地球人の時間尺度の差にレポートを書いた当人が漠然と気付いたからかもしれない。
地球人はたったの数日でここまでのことをする。だが宇宙人は数百年以上のスケールで物事を見ている。
この動画で最後の方で流れていたbgmどこから拾ってきたのでしょうか。
久しぶり
興味が満たされなかった。との描写があったのが引っかかる。
宇宙人が結果を見届けなかったのは、人間の感情にこれ以上深入りするのを恐れたからでは?
これだけ客観的に見れる生物が自分の中に訳の分からない感情が出てきたらどうしようと恐れたのではないかと思った。
宇宙人「あれから500年。なんかめんどいな。もう100年後で良いかぁ」
あの「ゆっくり茶番劇」が商標登録されたそうですけど、この動画シリーズにも影響ありますか?
お隣の国のことを考えたら「間引き」も観たいなぁ
UP主さんの計画もあるでしょうから、気が向いたらで
観測者は宇宙人というより、ロボットのようだった。
この宇宙人珪素系だろうから愛だの恋だのってのは理解できないだろうし
ましてや感情なんてものもないんだろうなぁ
無粋という感情が芽生えたからとか
続きを書いたら他の宇宙人が興味を持っちゃいそうだからかな
ロミオとジュリエットは生き返ったけど、本人たちは天国で会えたと思ってるから宇宙人が求める激しい吸引力は無くなってしまい興味を失ったと自分は思います。
物語には熱中しハッピーエンドは願うものの物語が終われば結局その後の話には興味を失い語ろうともしない、その後500年の間生きてきた人たちを仄めかして風刺してるとかかな?
もしくは結びついて上手くいってしまったらやはり興味を失って(あるいは興味あってもその後のリアルは知りたくなくて)誰も考えたりしようとはしないという
怖いんでしょうね〜あの力は何なのか〜?あんな事してよかったんか〜?って自分たちの変な衝動的な感情への戸惑いかな〜
藤子・F・不二雄が三島由起夫の作品で‥たとえば
「美しい星」とか‥やはり‥“宇宙人視点”をテーマにした文学作とかをどのような感想で見ていたのか‥とても気になる。
シェークスピアの作品が16世紀でその500年後は21世紀なので、人類は500年後には絶滅していて21世紀に人類はいなかった説
神視点で見るアダムとイブみたい
今まで2人には妨害ばかり入っていたからもう邪魔せずそっとしといてあげましょ。
彼らの生命活動が永遠なのかいずれ停止するのか知らんけど。みたいな。
なんだろ、普段はお行儀に厳しいのに限界を超えて頑張った我が子の食事風景が多少無作法になっても「まあ今回は頑張ってたから」って口出しせず食べ終わるまで黙って見守る親と似たイメージ。
なお宇宙人Oは、ロミオとジュリエットを観測したものと思われる
人の感情は不変なものかは、誰も知り得ない
と、言う作者の意図
今思うと、涼宮ハルヒの所に長門を送り込んだ宇宙人と似たような種の宇宙人なんだろうか
『カンビュセスの籤』が掲載された『別冊問題小説』に、その半年後(1977年)に発表された作品だね。この半年後には『宇宙人』、その8ヶ月後には『並平家の一日』があって、地球や社会を客観的な目で見るのが、F先生の中で流行ってたのかな?
あと、心理療法に、自分を火星人に見立てて、患者が恐怖や不安に感じている対象を客観的に観察させ、ネガティヴな感情を和らげる技法があります。確か、『気楽に殺ろうよ』(1972年)で、突然価値観の違う世界に入り込んでしまった主人公が、「頭がおかしくなった」と思って受診した心療内科で、その施術を受ける描写があったと思います。
1970年前後というと、F先生がスランプの絶頂期にあった時期ですね。先生が心療内科(昔は精神科と言ったのかな?)を受診したことがあるとは思いませんが、本か何かでそういう心理療法があるのを知って面白いと思い、作品に反映させたのかもしれません。『中年スーパーマン左江内氏』(1977年)や『かわい子くん』(1980年)では、認知バイアスや「パターン認識」といった心理学の知識が反映されていますし、「にこにこしてるんだよ、いつも楽しそうに。そしたら、ほんとにしあわせになれる」とか、『ドラえもん』の名言とされる言葉は、心理学に基づくものが多いです。
子供をこういう劇に連れて行ったら、こんな見方してそう。
宇宙人が結果を見たくなかったのではないかと思いました。①と②を複合したようなものに近いかもしれないですが、生き返らせてた後引力が発生するのは予想どうり。発生しなくても環境が違うからなどで予想どうり。結果を見ずに自分たちで考えていた方が幸せだからかなと思いました。
興味深いエネルギーを自分たちはどーせ生み出せない、持たない物だと理解するのが読めて、無駄と薄々わかって、その実恐かったと思う
なんか字幕がオンになってて、ABCみたいな訳わからない言語が出てたけど、多分あれは宇宙人語だと思う
藤子先生が悲劇の2人に幸せな世界をプレゼントしたかったんや。その後、2人の生活を誰かが覗きに来るなど無粋ということさ(∩ˇωˇ∩)
悲劇のラブストーリーを勝手に楽園でのハッピーエンドに改変した照れ隠しを作風で誤魔化してるのだ。
個人的には、説①の真逆で、不変のものであってほしい、不変のものである、と宇宙人が信じているが故に、あえて結果を確認しなかったんじゃないかな、と思った。
宇宙人目線でみたロミオとジュリエットのお話みたいな感じだったのかな
藤子・F・不二雄の間引きて漫画が好きなので紹介してくれると嬉しいです!
ロミオとジュリエットと儚い最後に宇宙人感化され、宇宙人にも心が宿ったけけれど、それは人間が脆く蘇生が難しいからこそ生まれてものであり、蘇生が用意にできる宇宙人の技術力が干渉してしまったのでその儚い最後は美しく思えなくなったため、ロミオとジュリエットに興味を失ってしまった。
③結果は読者がそれぞれ考えよ!!! 不変の愛?or飽きてしまう愛?
征地球論って作品に似ている😃
ロミオとジュリエットか